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ツェーガー先生

ベルギー人テノール、ツェーガー先生(ファーストネームです、苗字覚えてません)のレッスンが奈良でありました。御歳は、訊いてませんが、70はいってないかな?よくわかりませんが、世界中を飛び回ってコンサートなど活躍されている人のようです。勿論、僕は伴奏ピアノです。

先生はドイツ語、イタリア語、英語、ペラペラです。しかし、レッスンでの色んな事柄は、集中していた(当たり前ですが)から大体判りました。しかし、単語の知識がもっとあれば、と思いました。出来る限り英語の断片で返答する努力をしました。

受講者は4人で、様々な曲でした。5日前~3日前くらいの間に郵送された楽譜と、限られた日々で格闘して臨みましたが、先生にはお褒めの言葉を頂きました。
マーラー、ヴォルフ、R・シュトラウス、ブラームス、モーツァルト、C・ベーム(あの名指揮者でしょうねぇ)、C・ピンスーティ(なじみの無い名前です、先生もご存知で無かった)・・・僕には普段あまり携わらないドイツの声楽曲がほとんどでしたから、ご自宅のレッスン会場を提供なさったソプラノの仲川久代先生(奈良県橿原市方面の声楽関係のドンみたいな方)から久しぶりに電話があった時には一瞬迷っていました。
しかし、世界的な大家の息吹には触れておいた方が絶対にいいし、あれもこれもってな感じで色んな音楽の素養を常に高めていこうと欲張る気持ちにも有効だし、渡欧する必要も省けるし、おまけに小遣い稼ぎにもなるので、一瞬の迷いを一瞬で断ち切って、お受けしたわけです。本当に収穫でした。

数々の示唆を全部記憶してはいませんが、特にブラームスのリートでの、小品ながらもドラマチックな表現のアドバイスには感謝に堪えません。また、フレーズ感が十分に表出されるための連綿たるレガートへのヒントも、頂きました。ものによればあくまで1つのアイデアと見るのが最終的には正解なのでしょうが、今回のレッスンで得たものを大事にしなければいけません。

ドイツ語のディクションが非常に興味深かった。自分としても今更のようで実のところ恥ずかしいですが、音符の長さ一杯に、充てられた音節の母音を伸ばすことの間違い、これを、どの受講者も頻繁に指摘されていました。
その音節の母音の後(つまり最後尾)にある子音が、対応する音符の後ろ半分くらいの音価をもつことや、その音節全体(最後尾の子音も含めてということ)自体の長さが、対応する音符の前半分くらいしか伸ばさないのでないとおかしいとか、やはりこういう話は本場の人から聞くもんですね。
後者の事柄は、「そんな事したら音がすっぽ抜けてしまうやんけ~」って思いそうですが、日本歌曲でも歌謡曲でも、同じことがあるでしょう。
しかしながら、マニュアル化できることでもないから、一つ一つ糧にするのみです。

充実した時間でした。来週にはボールドウィン先生のレッスンがあります。こっちは小遣い稼ぎできません。
1万円払って受けます。切実ですが、その分また、大家の空気をうまく盗めるように、いいテンションで臨む心構えは出来ています。フランス歌曲です。ドビュッシー3曲です。
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  1. 2010/11/21(日) 02:50:44|
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無題

寒いです。

しかし、洛西ニュータウンの紅葉は実に素晴らしい。どこを歩いても、色彩の織り交ぜ具合が存分に楽しめるのは見事だと思います。植樹の時もよく考えられたのでしょうね。

今日(昨日になりましたね)は、京都フランス歌曲協会のメンバーでソプラノの女性との合わせ練習のため、彼女にマキ音楽院まで来てもらいました。これは、御歳80に近くなられる(はずの)、フランス歌曲における世界的な伴奏ピアニスト、ダルトン・ボールドウィン先生のレッスンに向けての練習です。
ドビュッシーを3曲、今日で2回目の合わせでしたが、入念に、また新しいものを見つける気持ちで、レンタル料金を無駄にしないように(笑)、充実した2時間でした。


ここから、久しぶりに、音楽論でぼやきます・・・


どの歌曲にしても、伴奏ピアノの全体に、立体構造が必ずある。これは、いつも思うことだが、西洋人の性としか言いようが無い。大昔は知らんが。日本人の性としては、古典芸能に見られるように、楽器奏者は謡いに追随するか、拍子をとるも非和声、2人以上でもほぼユニゾン。つまり、時間的には瞬時に、空間的には鉛直方向に現れる、複数の[個]の有機的な関わりに対する認知力が、日本人には多く欠けているものである。

しかして、西洋の歌曲において、立体構造の普遍的な意味を探求し、それを常に表出するべく演奏することが、はたしてどれほど重要か?(器楽曲においてそれが限りなく重要であることは無論)
もちろん、曲によってその重要度は違ってくる。しかし、記譜を見る限りその姿がこちらに迫ってくる事実を、あろうことか無視するなど、絶対に不可能である。
立体構造の普遍的意味を表現するために至極好都合な材料の1つは拍節感であるが、サン=サーンス、フォーレ、フランクなど、交響的またオルガン的な作風が顕著な作曲家のものは、整った律動や拍節感が不思議とその記譜にふさわしく、声楽家の個人的な都合に勝る音楽的意味をもつ、と言えよう。ラヴェルにもプーランクにも、まだほかの作曲家のものにも、同じ価値体系が存在すると思える。

ドビュッシー。彼は何か?サティーのそれでは無いがとても歌謡的である。先にサティーを述べれば、さすがキャバレーのピアニスト、音楽[作品]に哲学や瞑想などを介入させなかったのであろうか、どうもその証しとしか思えないような明朗なテンポ感(つまり良くも悪くも軽薄!)が満載である。

ドビュッシーは、何か?彼の言う<アラベスク>(多分、森羅万象のあらゆる関係における力動性の総合体が、全きアンバランスを脈動し続ける生命感覚だと思うが)について、最終の答えが出ない限り、彼の音楽の発信元を突き止めることは出来ないでしょう。
しかしまた、歌謡的であることが安直に整った拍節感を軽く睥睨してしまう、とでも言うような不思議な浮遊感を、声楽家の事情だけで説明できるわけも無く、立体構造的書法によるピアノパートの普遍的意味が、何をもってすればドビュッシーの音楽作品の演奏に見出されることができるのか、難解です。

実際の演奏では、気分よく謡う歌手の息遣いや言葉尻に上手く寄り添うように感情の襞の表現をサポートするピアノ、てな感じになるもので、それはドビュッシーの歌曲のひとつの魅力でもある。この関係、日本の謡曲などと似ている。この有様は、いくらピアノパートの立体構造的書法の意味が演奏に内包され得たとしても、変わらないでしょう。
ただ、音楽的価値論において、拍節感を含む有機的立体構造の上に声楽家御用達の息遣いが<君臨>することは許されない。もちろん、その逆の上下関係も許されない。

唐突ではあるが、ポップスやジャズのように、決して思念的な時間の計測をしない、そしてまるで暗黙の了解のように体感の一致を楽しむ、こういう関係を、ドビュッシーは歌曲の創作の世界に表したのか、とも思う。
たいてい、交響的な作品には、客観的巨視的なまなざしが感じられるものだが、ドビュッシーのそれは、内側から湧いて出るエキスの産物と感じられる。歌曲に感じるものと、同じである。


考えれば考えるほど、言葉をひねり出すのが困難になります・・・上記の記述に、1時間以上かかりました。
しかし、面白いので、またやります。音による表現も、人間のなせる業です。ならば、その意味するところを言葉でどこまで表現できるか、興味は尽きないのであります。
  1. 2010/11/14(日) 03:11:55|
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10/3掲載のお知らせの補足

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  1. 2010/11/05(金) 01:08:21|
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